「佐倉修行紀」その4
開講式の案内があったのでその第一講義室へ向かう途中、廊下の窓から
この建物の最上階に付けられたマークが目に入った。
それはまさしく建災防のイニシャルマークであり、この地がその教育の
原点であるということを再認識した。
そして開講式後の12時45分からいきなり講義が始まった。
それは優しい前触れなどまったく無く、講師の口からは「とにかくこの講座が
一番ハードですから。」と脅しの言葉さえ出た。
とにかく居眠りとか、考えことをするとかはこの講座にはまったく縁がなく、講師
の話をただひたすら聞いてメモし、テキストをじっと睨むだけであった。
本当はこの4日間の講義の時間割をお見せしたいのだが、何か問題があったら
まずいのでそれは伏せておくが、極端に言えば早朝から深夜までの講義である。
休み時間は昼食時と夕食時に45分ずつ、ただそれだけである。
グループ討議なども繰り込まれていたが、この時は少しばかり気を抜ける
時間であった。
無論、外出・外泊は禁止で、まさしく缶詰講座そのものである。
オマケに
雪まで降り積もり「なんで千葉まで来て雪を・・・・・・・。」であった。
ただここの食事は満足できた。徴収された食費をみれば、それなりの食事かな
とも思っていたが、マジに味もボリュームも満点であった。
夕食だけお見せしよう
1日目 牡蠣フライ |
2日目 天ぷらとス ズキの西京焼き |
3日目 うなぎの蒲 焼とメンチカツ |
残念なのは、夕食後も講義があるのでアルコール類は一切御法度であったことである。
ただ毎朝
この中庭で行われたラジオ体操は大変健康的で清清しい気分にしてくれた。
最終日は
前日深夜までかかって作った論文を発表し、無事今回の講座は終了した。
長いようで短く、短いようで長かった講座はこうして終わった。
《オマケ》
館内の安全用品展示室にこんなものが飾られていた。
こんなところにも〇沢〇郎氏の影響が・・・・・・・・??違うか!!
タグ: