夢へ、掘れ。 『黒部の太陽』
先週末にフジテレビが2夜連続で放送した、テレビ開局50周年記念ドラマ特別
企画 『黒部の太陽』は、心に響く素晴らしいヒューマンドラマであった。
今回ドラマで描かれる「大町トンネル」貫通までの苦難の道のりは、「黒部第四
発電所」建設のために必須かつ最大難関事業の一つだった。
香取慎吾をはじめとする豪華キャストもさることながら、雄大で美しい大自然の
映像と、トンネル堀に命をかけた男達の映像が対照的で見事な長編ドラマに仕
上がっていた。
私も4年前に立山~美女平~室堂~大観峰~黒部平~黒部ダム~扇沢と巡って
きたが、その立山アルペンルートの面白さは無論、黒四ダム本体のスーケールの
大きさには正直驚いた。
今思えば、黒四ダムから大町トンネルを抜けて扇沢へ向うトロリーバスの中で
この工事の難しさを音声で放送していたが、しっかり聞いておけばよかった。
そして何故この工事がそれほど大変であったか調べた。
破砕帯のことは今さら説明するまでもないが、この大町トンネル掘削中に遭遇
したその大破砕帯の凄さは、ある文献に書かれていた。
それは昭和32年5月、入り口から2,600mの地点での遭遇であった。身を凍ら
すような摂氏4℃の冷たい水が、大量の土砂をともない吹き出したのである。
その量、毎秒660リットル(毎分40トン)という過去に例をみない大破砕帯であり
その長さも80mを超えるもので、一時は開通が絶望視されるほどであった。
黒四開発のため、黒部川左岸の絶壁に幅50cmほどの吊り桟道を架けて
そこを重い荷を背負った人間が渡っていく。
これは黒部に行った時に撮影したもので、黒部平から黒四ダムを望んで
いる。
大町トンネルはこの山をぶち抜いたのである。
大破砕帯に遭遇し、もの凄い勢いで吹き出す地下水。
水抜き用のトンネルも掘られたが、あまり効果はなかった。
このように苦難の連続に襲われながらも決して逃げることなく、当時の最新
技術と土木工学の英知を結集し、苦闘の末に7ケ月の期間を要し、ついに破砕
帯を突破したのであった。
そしてこれが本当の黒部の太陽
大町トンネル貫通地点である。
昭和31年に始まった前人未到のこの大工事も、当初の工期、予算を大幅
に上回りながら、7年の歳月の末、ついに昭和38年完成した。
ダム堰堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者
慰霊碑が建設され、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれている。
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