日本プラモデル50年史その2
先日「日本プラモデル50年史その1」を書いたが、国産初のプラモデルを
誕生させたあのマルサン商会は、なんと浅草にその起源があった。
マルサンは玩具メーカーとしては老舗で、1923年に浅草田原町で石田直吉
によって起業され、当時は石田製作所として紙製玩具や木製玩具を主体に
製造販売していた。
戦争のより石田製作所は灰燼に帰したが、復員して来た直吉の三男 石田實ら
によって1947年、玩具卸業マルサン商会として復興された。
所在地は東京都台東区浅草寿町1丁目12番地(今は台東区寿3丁目)であった。
そして1960年の年が明けると、満を持していたかのように数多のメーカーがプラ
モデル市場に続々と参入、いよいよ本格的なプラモデル時代の幕開けであった。
そしてさらに追い討ちをかけるように、航空機や艦船などメカ一辺倒でった「日本
の模型」分野にキャラクターモデルが登場し、第1期黄金時代の到来となった。
そんな時、突然次世代への扉が開いた。いや、突然といのは正しくないかも
知れない。メーカー的にはメイク&トライの積み重ねによる地道な努力の賜物
に違いないのからである。しかし一般のユーザーにとっては「突然の風」がごとき
新鮮な驚きであった。
それは、田宮模型というメーカーの出現であり、1/12という大型スケールモデルの
登場であった。
1/12という大型スケールのフォーミュラ1は、それまでにも他社のロータスや
フェラーリなどが存在した。だがしかし、タミヤのホンダF-1はそれまでのプラ
モデルに対する一般概念をも覆すほどの衝撃をもたらした。
それはまさにカルチャーショックと言ってもよかった。表現が抽象的かもしれぬが
「これはもやはプラモデルではない」という印象だった。
つまりそれまでのプラモデルは「所詮はプラモデル」であって、決して実物とは
相容れない別物という通念を誰もが抱いていた。
しかしこのモデルはそうした慣例的な常識論を完膚なきまでに叩き潰した。
期せずして他のメーカーもほぼ同時期に1/12ホンダF-1/RA273を世に
送ったが、タミヤのキットとのレベルの差は誰の目にも明らかであった。
そしてこの頃から模型業界に、混迷と淘汰の時代が訪れ、新たな勢力分布
が形成し始めた。
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