今年もドラマがあった箱根駅伝
昨日のブログで、お正月に飲んだお酒の話をしたが、3ケ日はただやみくもに
酒ばかり飲んでいる訳ではない。
そう!2日と3日は恒例の箱根駅伝を見ながら楽しい酒を沢山飲んだ。
ご存知、箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から84年も前のこと
であり、正式名称は東京箱根間往復駅伝競走という。
その箱根駅伝の創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる
金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。
そして2004年には、箱根駅伝のMVP(最優秀選手)に当たる賞を、金栗杯
という名で新設された。
東京・読売新聞本社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(108、0km)
復路5区間(109,9km)の合計10区間(217,9km)を20校(今回は
85回大会で23チーム)で争う、学生長距離界最大の駅伝競争である。
過去に数々の感動を与えてくれた箱根駅伝であるが、今年もまた最高
のドラマがあった。
1区では、優勝候補の一角である早稲田1年生の矢澤がトップでタスキを
渡したが、2区では、あの山梨の怪物メクボ・モグスが区間新記録でトップの
座を奪い返した。
話がそれるが、このメクボ・モグスを何故かメタボ・モグスと呼んでしまう。
続く3区は、あのオリンピック学生ランナー早稲田の竹沢が、これまた区間
新記録で山梨学大を猛追。
そして4区で、これまた早稲田の1年生ランナー三田が区間新記録でトップ
を奪い返した。
ここまでで十分満足するドラマであったし、早稲田にしても予定通りの
レース展開だったはずである。
だがしかし、今年の箱根の最大の最高の見せ場が、この後の5区で待って
いた。
そう!「山の神」を超えた「山の神童」の登場である。
トップの早大が通過してから4分58秒が経過した小田原中継所。
誰もが逆転は不可能と思っていたが、ただ一人だけそれをあきらめて
いない男がいた。
その男の名は 柏原竜二 東洋大1年生である。
高校時代はほとんど無名だった「天然素材」が、とんでもない事をやって
のけた。
もう破られる事はないと言われた、あの「山の神」、順大の今井正人が
07年に樹立した記録を47秒も更新した。
そしてトップと5分差の9位でタスキを受け、最初の5キロを14分台で
突っ込んだ。自殺行為とも思われるハイペースで、海抜10メートルから
874メートルを一気に駆け抜け、その間8人をごぼう抜きし、出場67回目
のチームを初の往路優勝に導いた。
まさに「山の神」ならぬ「山の神童」の誕生である。
そして東洋大は、このスーパールーキーの走りをバネに、あくる日の復路も
早大と抜きつ抜かれつのレースを展開し、8区で首位の座を奪い、そのまま
追手町に戻ってきた。
毎年そうであるが、ことしも本当に面白い箱根駅伝であった。
最後に、上位10校に与えられるシード権のことであるが、出来るなら
上位12~13校くらいにして欲しいと思うのは、私だけであろうか?!
それと、追記であるが、今回の金栗杯は無論、柏原選手であった。
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