オリンピックを汚した男
お盆中はブログの書き込みをすっかりサボっていた。
その代わり、北京五輪はしっかり見てた。でも・・・・・・・。
そのオリンピックを汚した男がいた。
そのことを書く前に、今から8年前のシドニー五輪の男子柔道のことを思い
出して欲しい。
それは100kg超級で出場した篠原信一選手の決勝戦のことである。
相手はフランスのダビド・ドゥイエ選手で、両者とも決定的なポイントが
ないまま試合が進み、後半残りわずかなときドゥイエが内股を仕掛け
て来たが、篠原選手は見事な内股すかしで返した。
だがしかし、ここで信じられないことが起きた。
主審と副審の一人はドゥイエの有効を示したが、もう一人の副審は篠原の
1本と宣言した。
だが判定は変わらず、ドゥイエが優勢勝ちをおさめた。
(青が篠原で、誰が見ても1本である)
試合後、山下泰裕選手団長が猛抗議したが判定は覆らずであった。
更にこの試合、ドゥイエ選手は片襟や帯をつかむ等の反則行為もあったが
審判の誰一人それを示さなかった。
試合後、篠原選手の口から出た言葉は「私が弱かっただけ。」であった。
後に主審は誤審を認めたが、それは後の祭りである。
ただこの世紀の大誤審の後、日本人の誰もが篠原選手の人間性に魅了され
その偉大な男を日本の誇りに思い、さらに柔道は何たるものかを教えてくれた
篠原選手を大柔道家として絶賛したのである。
それに比べ・・・・・と言ったら誰のことか想像つくと思うが、そうこの男である
レスリング男子、グレコローマン84kg級のアラ・アブラハミアン選手(某国)である。
この男、準決勝の判定を不服だとして、表彰式で銅メダルを貰った直後に
こともあろうにそのメダルをマットに置いて去って行ったのである。
更にこの男「判定は間違っていた、このオリンピックは失敗だ!」まで言って
しまった。
IOCは無論この選手を失格とし、メダルをはく奪した。
これ以上は書かないが、この選手はどんな言い訳を考えて自国に帰るので
あろうか?
まあ篠原選手と比べること自体が失礼ではあるが、この選手を2度と見たく
ないのは私だけではないはずである。
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