連休道東紀行(2:思い出話編)
(1より続く)
さて、小雨の中、、、
帯広から網走までの運転は嫁さん。
娘は爆睡。。息子はアンニュイ?
共に”てるてる坊主”がぶら下がっているのが確認できます(笑)
網走につくと・・
まずは私の母校から。
当時私は18歳。
右も左もわからない状態で何もかもが新しい事だらけ。
(前回に引き続き、昨晩入手した過去のアルバムから恥を乗り越えて紹介。23年前の私)
我々が一期生という事もあって、先輩も後輩も居ない特殊な環境下、周囲を見渡すとほとんどが道外出身者。もちろん、それまで勉強という言葉を知らない私としては、みんな頭の良い連中ばかり(笑)
そこで、これまで知り合ったことの無いような個性的な仲間に出会い、刺激的な毎日を過ごします。
網走は自然の宝庫。。
冬はスノーボードに出会い、夏は網走湖でウインドサーフィンを覚え(とはいえ、水は怖かったため、微風時のみの技術のみ習得(?)で、へたれのまま終わりましたが)、海ではバケツに入りきらない大きさのカレイを釣る。バイトはカニ料理屋さんで余り物持ち帰り放題(おかげで、現在はカニ嫌いに・・)。。
もう、、素晴らしき友人に恵まれ、春夏秋冬、朝昼晩関係なく遊びつくした記憶ばかり。
特にその中で最も大きく人生を変える経験をしたのがスノーボード。。
後にライバルとなる友人と20歳の時に悪ノリで始め、すぐに網走の社会人レーサー達と出会い、気がつくと共にどっぷりとレースの世界へ。
冬は毎日練習、そして遠征につぐ遠征・・。。
そのライバル的友人と二人、最後の卒論は恩師に「お前達は卒論は出せば良い。内容は問わん!」ぐらいな事をいわれるぐらいのひどさ。
そんなどっぷりと浸かったジャンルゆえ、今なお網走には沢山お世話になった方々がいて、それなのに卒業以来、すっかり不義理をしてしまっておりました。
そこで、旅行2日前(これもどうかと思いますが・・)に、公私共々お世話になったボードショップ「パーキングポイント」の社長に電話をし、「4日ってお店開いてます?」とアポをとる。
その翌日(出発前日)、ライバル的友人(旭川在住)のfacebookに「明日夕方、網走にて待つ。」という冗談半分のメッセージを入れたのが事の発端。
そんな強行軍的スケジュールにもかかわらず、網走在住の恩人、先輩、友人、後輩、etc.・・が、せっかくだから(?)的感覚で沢山集まってくれ(急な話だったにもかかわらず感謝)、もの凄く楽しい時間を過ごさせていただきました。(写真に写っている以外にもそれぞれの子ども達や奥さんなど、とても多くの人たちが集まってくれました。この写真の時は夜が更けて帰ってしまいましたが。)
本当に温かく、素晴らしい仲間に恵まれた4年間。
老後は網走に住んじゃおうかなぁ~というのは半分本気(笑)
ちなみに、大学時代の話を我が家の子ども達にすると、遊んだ話しかしないので大学は遊ぶところだと真剣に思っているらしい。
今回、初めて私の母校を見て、そして沢山の仲間達との思い出話に花が咲いているところを見て、やっぱり大学は遊びに行くところだと確信したらしい娘・・・。
私も「網走の大学行く!」とつぶやいておりました。
しかし、娘よ・・
私は元々の学力が周囲より大幅に劣っていた事から、毎回一夜漬けではあるものの、あんなに必死になって勉強したのも人生初の経験であったのだぞ(レベル的には知れてますが・・)・・・。それはそれでやっぱり大変な事だったかもしれません。もちろん、すっかり記憶の彼方に置き忘れてしまっておりますが・・(笑)
まぁ、、きっと一期生だったから入学&卒業できたんだと思います(笑)今じゃ入れてももらえません!だって、繰り返しますが、私本当に勉強できませんでしたから(汗)
そんな素晴らしい網走に、今なお、こんなにも温かく迎えていただけた事にただただ感謝。まさか今回の旅行でもこんなに多くの人に会えるとは思っていなかったので感無量。
そうして網走の夜は更けていきます・・
《専務取締役 平野》