だらだら備忘録(1)
どうという事もない、携帯電話の画像を漁ってみた個人的備忘録ブログです。
あしからず・・。
[前章]
携帯の画像を漁るとスキー場には1月7日以降は行っていないらしい・・。
たまには無心になって滑ってみたいと思うものの、道具を用意するのも面倒くさいし、何よりモノゴトに追われすぎて、そういう健全な思考がでてこない。
今年もシーズン券を買わずに正解でありました・・・。
子ども達よ、、スマン・・(汗)
せっかく私も調子にのってウエア新調したのに・・。
2月5日(日)
あまりの雪の多さに、NPO炭鉱の記憶マネジメントセンターの屋根も危険信号が・・。
人海戦術で雪下ろしが進み、私は息子と二人でショベルとダンプで排雪作業。
息子は私に似ないで随分と働きものでありまして、バック誘導から、こういう作業を積極的にこなします。
しかし、サスガに一日中ダンプに乗っているのは本当に苦痛だったらしく、その後一切排雪作業にはつきあってくれません(笑)
親子のコミュニケーションのはずが、子ども的には我慢大会だった模様・・(汗)
2月6日(月)
2月10日締め切りの大型物件があり、強烈に危険な時間配分。。
1月にインフルエンザAとBを連続でおかわりした社長の流れか、我が社でもインフルが蔓延。
気がつくと風邪の諸症状にまみれつつ、時間が足りない中、ここで倒れてはならぬ・・と、JCの先輩でもある牧先生にSOS!「それはすぐ来なさい!」と言われニンニク注射でドーピング。
おかげさまで乗り切りました。
感謝♪
2月9日(木)
岩見沢複合駅舎が全国のJRグループで初となる設計コンペでつくられた背景には、その仕掛け人がおりました。
JR北海道地域計画部のK氏でありますが、本当に素晴らしい人で、駅が完成した後もずっと岩見沢のまちづくりに関わってくれて、公私共にどっぷりと力を貸してくれた人。
《岩見沢レンガプロジェクト》だって、《いわみざわ駅まる。》だって、この人の協力がなければ絶対に実現しなかったし、今の岩見沢駅舎そのものが無かったと思われる。
なのに、昨年の秋に急に体調を崩し、この2月・・・。
様々な会議でもこっちが調子にのると、試すような目で私を戒めてくれた。上手くできた時はニカっと笑って褒めてくれた。仕事で忙しいのに、ちょっとした会議でも岩見沢まですぐに駆けつけてくれた。
私は色々な人に影響を受けて今の自分があるけれど、このK氏の格好良さは一段と格別のものであった。様々な想いをしっかりと引き継いでいきたいと思っております。
安らかにお眠り下さい。
私は絶対に忘れません。
2月13日(月)
大雪の関係でSOS!
ご覧の通りの積雪。
今にも潰れてしまうのでは無いかという状況下、慌てて雪下ろし&排雪作業。
カスケードガレージはやっぱり丈夫でありますが、さすがにこれ以上は無理でしょうね・・(汗)
しかも見た目と裏腹に滅茶苦茶固くてスコップだって折れるぐらい。
そんなこんなで、間もなく春が来そうです。
2月13日(月)《夜》
週末に開催するIWAMIZAWAドカ雪まつりと同時開催する《いわみざわ駅まる。》プレゼンツの『アタック!自由通路』の準備。
100mの南北自由通路を○×クイズで楽しもう♪という企画。。
ラミネートの枚数だけでも400枚だったべか・・・
それでも人数が多くいたおかげであっという間に終了♪
2月14日(火)
3DCADのオーセブンのスキルアップ講習会
その際、先日受賞したデザインコンテストの授賞式をしていただく。
これまた感謝♪
2月15日(水)
オーセブンの講習後、懇親会で盛り上がり終電を逃す。
翌朝電車で岩見沢につくも、雪の量はやはり別格。
跨線橋の屋根の雪下ろしも大変な作業であります。
歩いて事務所まで戻る途中、、
19世紀の建物である岩見沢レールセンターも雪で埋もれておりました。
という事で2月も中旬まで終了。。
後半戦は札幌モーターショーから”だらだら”と再開する予定であります。
《専務取締役 平野》