[充実した週末]~駅フォーラムから炭坑(ヤマ)の記憶まで【2】
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昨年の夏、岩見沢の観光を考えるシンポジウム①、②でプレゼンテーターをさせていただいた時に、一夜漬けチックではあったものの、まずは北海道開拓の歴史を調べた時に真っ先にでてきたキーワードでした。
小樽にお寺を建築するために、よい木材を求めてここまで来た人が黒く光る石を発見し、それを人づてに聞いた人が自分の手柄にすべくとった行動。また、開拓使のお雇い外国人であったライマンが見つけた鉱脈。
「この道をライマンも通ったのですか?」と聞くと、ライマンどころか伊藤博文や榎本武揚など、国家プロジェクトだったゆえ、当時の重要人物はみな来たであろうという事を聞いて、ちょっとブルっとくる。
また、ペリーが浦和に来た事により函館が開港。その燃料の要求により薪ではなく石炭を求め、白糠炭山が開発された話や、GHQとの電力をめぐる攻防。黒部ダム等のいきさつ。福澤諭吉の孫へ繋がる功績を辿ると、北炭が岩見沢に本社をおいていた時の総責任者に繋がるなど、日本の近代化になくてなならない話がこんな身近なところに山ほどあったらしい。
勝手に当時に想いを馳せるが、残念な事に自分の頭の中だけでは情報不足でイメージも不良品(笑)またしても記憶も断片化・・・。これはデフラグしても修復不可と思われる。あるのは勉強という名のデータ修復のみか(笑)
今を生きる我々は、あまりにもこういう、つい最近の史実を知らなすぎるらしい。
これで良いわけないよな・・とつくづく思う。
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幌内の変電所。
まだレンガとコンクリートが混在する建物。
恐らく当時の技術ではコンクリートだけでこの規模のモノをつくる事ができず、レンガとの混在になっているのでは?という話。
ふと横を見ると、お人形さんを座らせての撮影中。
このアンバランスさに価値を見出す事も一つの現実なのであろう。
表現と受け取り方は自由なのでしょう。
ちなみにこの場所で作られた電気は、最盛期は幌内から歌志内まで引かれていたとのこと。
スケール感も見事!
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ヒグマには会わずに済んだものの、鹿の足跡は至るところに存在。
やはり山です。
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冷たい”おおもり”をすすり、往年の建物に目を向ける。
室内の天井際が曲線になっていたり、窓ガラスのサイズが変則だったり・・入り口ドアの形状が左右に分かれる具合など、これまた高ぶるものがある。
過去、この地域で育った吉岡先生は、若かりし頃、おおもりを6皿食べたという。
私は通常のおおもりで結構苦しい状況ながら、先生は今日もサクっとと2皿たいらげる!
あのバイタリティと知性はこの食欲から来ているのか?と思うと、更に敬服。。
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一行はその足で奔別へ。
当時、東洋一の大きさと言われた建物。。
左右のコンクリートづくりの躯体の中には、いまだ巻き上げ機のモーターが残っているらしい。
しかも年度内の閉山を強行するために短時間で閉山の工事を決行したため、最後に爆発事故を起こす。
手前の鉄骨が向きだしになっているのはその爆発の名残だそう・・・
その経緯にも様々なドラマがあるようで、深い話に唸らずにはいられない。
ちなみにこの建造物は「見守り保存」という名目で、ただ朽ちていくのを見守るしかないらしい。
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最後に寄ったのは唐松駅。
3代目岩見沢駅舎と同じ、マンサード型の屋根を持つ駅舎。
どうやら作られた年代も3代目岩見沢駅舎と比較的近いらしい。
ここの建物は鍵がかかって入られなかったのですが、吉岡先生とその一行の姿を見かけて、管理している木村さんという方が駆けつけて中を案内してくれた。
こういう方がいるから保たれているという現実を私達は簡単に見逃してしまう。
今の世の中は簡単に”助け合い”とか言うけれど、大体の人は先に自分が助けてもらう事を考える事はあっても、自分から先に助ける事を考える人は少ないと感じる。もちろん、私だってそういう一人であろう。
色々と考えさせられる。
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最後に、NPO法人 炭坑の記憶マネジメントセンターに戻り、現在展示中の谷藤茂行さんの絵画展を見る。
先ほど、現物を見たばかりの安全灯庫の絵が掲げられていて圧巻。
事務所でコーヒーをご馳走になりながら、また様々な話を聞かせてもらう。
非常に質の高いものらしく、価値のある最高級クラスのもので、これは石のように彫刻や造形ができるほど。
画像を拡大していただけるとわかるのですが、右側の顔の置物は、この石炭で彫り上げたものとのこと。
手触りといい、なんとも言えない質感がある。
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こうやって貴重な週末を過ごさせていただきました。
岩見沢の誕生に重要な意味を持つどころか、これら空知の産炭地がなければ岩見沢という都市すら存在しなかったであろう事実の中で、あまりにも自分達はその生い立ちをしらなすぎる事を痛感。
少し前の世代では、これらに暗い記憶として蓋をしてしまおうという風潮があるかもしれないが、結局は切っても切り離せないリアルなもの。
「古きを温ね新しきを知る」
これからのまちづくりを考える上でも、まずは過去を知ること。そしてその延長線上に物事は進んでいる事を考慮しなければならないんだろうなと思う。
そして土曜日に講演の中でも西村さんの言っていた「時間のスケール」を持つということ。
~色々な方々が発する様々な言葉~
当人たちの意図とは離れるかもしれないけれど、勝手に自分の中でリンクしていく感覚はもの凄く貴重。
ちなみに今日は、色々なことにハズカシイぐらい”初めて”が連発。。
乾いたスポンジに水が吸い込まれるが如く、色んなことがカラダに染みこんでくる感覚。(ただ、私の個人的能力という括りでは、そのまま保水できずに蒸発していく水蒸気がみえそうな勢い・・(汗))
自分だけの環境、能力では、絶対に実現できないような贅沢な時間を、コバンザメの如くドサクサ気味にお邪魔しながら見事に恩恵を受けてまいりました(笑)
少し時間をかけて攪拌しながら、然るべきタイミングでアウトプットできる様な自分になりたいなと望むばかり♪
吉岡先生、酒井事務局長様をはじめとし、昨日のトークセッションよりお付き合いいただいた、西村さん、倉谷さん、鈴木さん、、お世話になりました!大感謝♪♪
《専務取締役 平野》