中学生壁新聞取材
昨日、こんな事がありました。
というのも、以前、岩見沢駅舎の記念誌の関係で北海道新聞の道央ワイドという欄に掲載していただいた時。
某中学校の先生より電話があり、「子ども達の壁新聞の記事として岩見沢駅舎の事を取り上げたいと思い、駅舎の事業に色々と関わったお話を聞かせて欲しいのですが・・」と。
勿論、こんな私で良ければと快諾をさせていただき、、昨日、中学校1年生の男の子二人と引率の先生が会社まで訪ねてきてくれました。
事前に先生からメールでいただいた質問事項は、、
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担当生徒と相談した結果、以下のことを質問したいと考えています。
①どのようなきっかけ、思いで駅の事業に関わったのか
②一番大変だったことは何か。
③新しく駅ができ、グッドデザイン大賞を取った事により、市民にどんな効果があったと思うか。
④刻印レンガにはどれぐらいの人が刻印したか。また、なにか印象に残るエピソードがあれば教えてください。
⑤「人と人とのつながり」という目標は達成できたか。
⑥これからの岩見沢にはどのようなところになってほしいか。
⑦岩見沢の中学生へのメッセージ
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という具合でした。
せっかくなので、ここでもお答えしてみたいと思います。
①どのようなきっかけ、思いで駅の事業にかかわったのか。
これは明らかに偶然の縁に恵まれたとしか言えません。
2005年の夏。。ちょうど、岩見沢青年会議所の専務予定者に内定した頃で、そんなバックボーンがあったからなのか、そのころ親しくさせていただいていた先輩から「岩見沢駅の設計者の人が東京から来るから会ってみないかい?」と誘われたのがきっかけ。
場所は駅前の三船さんで、モツ鍋をつつきながらこれから着工する新しい駅の話、そして岩見沢のまちづくりについての話を聞き、もの凄く正直な話をすると「設計者の西村さんのファンになった!」からに他ならないかもしれない。
今までのまちづくりというものと全く違うスケールで展開される話に、今後の夢を見ることができたという感じです。
②一番大変だったことは何か。
自分としては何も大した事ができていないので、「大変だった!」と思うような事は何一つないのですが、事業全体としては、当初目標の5000人の刻印レンガの申込みをいただくのに、PRが上手く浸透せずに手こずったというのが一番かもしれません。
あとはとてつもなく地味な作業・・・
刻印レンガの申込み数、入金チェックと刻印するローマ字のスペル、出身地などのチェック等々はみんなで手分けしながらも膨大な時間と労力を必要としました。
実質1円たりとも報酬の無い、完全ボランティアの活動としては、かなりハードルの高いものだったかと思いますが、正直な話、、設計者のワークヴィジョンズさんのとても優秀な皆様と、熱意ある岩見沢チームスタッフの陰に隠れて、私自身は大した事は全くできておりません(あまり大きな声では言えませんが)。。
裏話としては、多くの参加者に寄贈してもらったレンガ壁をJRと岩見沢市に寄贈するための資産贈与に関する手続きなど、超えるべきハードルの数は山ほど。。それも優秀な人揃いだったので難なく乗り越えた感があるものの、普通だったら大変な事なんだろうと思います。
③新しく駅ができ、グッドデザイン大賞を取った事により、市民にどんな効果があったと思うか。
一番大きいのは、こうして中学生が壁新聞の特集にしたいからと取材にくるぐらい岩見沢駅が評価されているという事。きっとあのようなメジャーな賞をとっていなければ、疲れ気味な街の中にある《場違いな立派な駅》という評価が大半を占めてしまうのかもしれない。
対外的に評価されて、市民としても「あっ、、そうなんだ!この駅って凄いんだ!!」という効果は間違いなくあったと思う。
ただ、実際にはグッドデザイン大賞よりも、日本建築学会賞という国内で最も権威のある賞を受賞した事の方が知る人ぞ知る凄い出来事。。
全部で大きな賞を7つも受賞しているのは記念誌「駅・復権!」を買ってくれると良くわかる。(宣伝。。)
そして一番大事な事は、この駅舎の完成はまちづくりの完成ではなく、あくまでスタートとしての位置づけであるという事。。是非、この思いが浸透し、期待感と活気が溢れるような街になりたいもので、そのためにもとても大きな節目となる賞だったと感じます。
④刻印レンガにはどれぐらいの人が刻印したか。また、なにか印象に残るエピソードがあれば教えてください。
左のポスターをクリックして大きくしてもらえるとわかるのですが、4,777個の内、約半数の2,353人が岩見沢市内。岩見沢以外の北海道内が約1700人。
他は日本中のほとんどの府県から申込みがあり、アメリカを始め7カ国の海外からも参加がありました。
印象に残るエピソードとしては、このページの②《レンガを見る!》をクリックしていただけると積み上がったレンガからメッセージを見れるものがあります。(申込み時になにも記載なきものは〈らぶりっく!!いわみざわ〉と表示されますが、是非根気よく探してみてください)
中には、この岩見沢が鉄路の街だった頃の記憶として、「父が働いていた岩見沢。僕もいつか行ってみたい。」とか、これからの岩見沢に期待する思いだとかが結構一杯詰まってます。そんな事に触れられたのは貴重な経験でありました。
⑤「人と人とのつながり」という目標は達成できたか。
この駅ができるまでに、様々なイベント等を通してそれまで関わる事のなかった人と人、組織と組織という新しい繋がりが沢山生まれてきた。
でも、それは今まで10あったとすると、それが20になったぐらいのもので、我々レンガプロジェクトのテーマとしては「駅舎の完成はまちづくりのスタートに過ぎない。」ということ。
まだまだこれからやるべき事であり、いよいよイベントという枠だけでなく、もっと長期的な視野に立った中で次のステップへ踏み出す時期が来つつあると感じています。
⑥これからの岩見沢にはどのようなところになってほしいか。
どうしても「岩見沢ってどんな街?」って聞かれても「○○な街!」という表現がしにくい。
これからの岩見沢は、是非「岩見沢と言えば○○」というものを作り出していけたら良いなと思ってます。(難しいけれど・・)
それが出来れば僅か30分の距離で190万人が住んでいる札幌という都市も商圏になる。流出するのではなく流入してくるような事を実現できれば、「若者がこの街で働きたいと思っても就職が無い!」なんて事も減らす事ができるかもしれない。
今の中学生も将来に夢と希望を持つことができる。そんな風にしていくのは、我々親の世代の責任でもあるわけで、ただ黙って誰かが良くしてくれるんじゃないかと思って待っている訳にはいきません。
また、この駅舎に関わり始めたころ、本州の方へ行くととても歴史のある町並みであったり、歴史的背景があったりして、そういうバックボーンの無い北海道というのは、本当に不利だよな・・と信じていて、でも設計者の西村さんから「何いってるの?北海道には開拓の歴史が埋もれてるじゃない!」と言われてハタと気づいた事が多々。
駅のすぐ近くにも開拓使のシンボルマークである五陵星が輝くレールセンターがあったりするわけで、しかもここは日本で3番目に敷かれた歴史ある鉄道の拠点であり、その中でも岩見沢は人が住みつく前に駅が出来ている特殊な環境。
色々と紐解いていって、上手く繋がりを持たせていければとても大きなキーとなるはず。
これからの活動のテーマの大きな柱です。
⑦岩見沢の中学生へのメッセージ
是非、夢と希望を持って欲しいと思ってます。
厳しい時代になってきていて、これからも益々難しい時代になると思うけれど、誰かに良くしてもらおうと期待するんじゃなくて、自分自身からアクションを起こせる人になってほしいなと思ってます。
そんな良き見本がいるかどうかは、我々世代の背中次第なのかな?という気もしてますので、まずは私もガンバリマス。だから君たちも宜しくね。。てな感じかな。
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非常にフレッシュな中学1年生が訪ねてきてくれました。
自分が中1の頃はあんな質問なんてできなかったよな・・と思うと、イマドキの子どもらは優秀だわぁ~と感じずにはいられない。実は少し前には某小学校の壁新聞の取材も電話で受けていて、その小学生も随分と元気でありました。
引率してくれた先生も出来たら壁新聞を見せてくれると約束してくれたので、とても良いモノができるのを楽しみにしております。
終わってみれば、上の文章で書いたよりも全然多くの事を機関銃の様に喋っているわけで、果たして何%ぐらい伝わったのかは皆目見当もつきませんが、きっと何かを感じてくれた・・・?
そんなドキドキしながら訪ねてきてくれた中学生と先生が「おいっ!来るとこ間違ったな・・(汗)」と言ってない事を祈りつつ、こんな事がありました!というご紹介でした。
*わざわざ事前に予習といって、記念誌「駅・復権!!」を書店で買ってきてくれた先生。。サスガですねぇ!まだお買い求めで無い方は是非、こちらでチェック♪
もう少しだけ在庫が残っておりまして・・・(笑)
《専務取締役 平野》