残念な出来事
今、出棺が終わり帰ってまいりました。
また尊敬する方がお亡くなりになってしまいました。
組合印刷の小川社長。昭和10年生まれの73歳でしたが、そんな年齢とは想像もできないバイタリティーにあふれた方でした。
仕事上でのお付き合いというのはほとんど無いのですが、JCの大先輩として、そして地域活動の先輩として色々なお話を聞かせていただいた事を思い出します。(きっと私の事などは、その辺にゴロゴロといる若蔵のただのヒヨっ子としか見ていなかったと思いますが、、、)
特に地域活動にいては岩見沢市の「住民自治」のモデル地区である、緑が丘共和国委員会を率いていた事から、岩見沢市主催の住民自治フォーラムや、昨年行われた北海道市長会主催の都市問題会議などでも同じパネルディスカッションのパネラーとして参加させてもらったりとお世話になっていました。
そのパネルディスカッションの前の打ち合わせの時でも、本題そっちのけでJCの話をしたり(息子さんも私のJCの先輩なのです)
「今だ70歳を超えても名前を呼ばれると大きな声で”ハイ”と返事してしまうんだよなぁ。。平野君もそうだよなぁ~。これってJCで身についたクセなんだゎ!格好悪いんだけど抜けないよなぁ♪」
などと楽しそうに話してた風景を思い出します。その後懇親会の席でもお隣に座らせてもらい、お酒を飲みながら随分と昔のプライベートの話(美空ひばりのバックバンドをやったことやラジコン飛行機の事など、、etc.もの凄くマルチな才能を持った方でした。)や、様々な社会活動の事についても教えていただいた事を思い出します。
どうやら、進行性の末期ガンであると言うことがわかったのがその会議の少し後だったらしく、気がついた時には既に余命僅かという状況だったとの事です。
なのに12月末までは普段と変わらずに出社し、1月7日の仕事始めに会社の訓辞を行う為、会社まで出社したものの、その後、訓辞を行うまでの体力は残ってなく・・・。そのまま入院。
それからは”あっという間”の病状悪化で、僅か9日間の入院だったようです。
ご家族も余命僅かという事を本人に隠さずに伝え、その時に帰って来た言葉は「ありがとう」という言葉だったそうです。
なんだか、らしい言葉だな・・・と感慨深いものがあります。
香典返しと共にいただいた「小川孝成 73年の軌跡」というリーフレットの最後には、生前、自分自身の葬儀の場面を思い浮かべながら書いたであろう、堂々としたお礼の言葉が載っておりました。
どんな気持ちでこの文面を綴ったのか、若輩者の私には見えない部分が多いのかもしれません。でも、きっと嘘偽りの無い、本当の気持ちが書かれている気がしてなりません。
ここ数年、岩見沢においてとても重要な役割を担ってきた方々がお亡くなりになっています。
時代が少しづつ変わっていっているという事なのでしょうが、どうにも寂しい思いがしてなりません。
我々の世代はどうなんだろう?ちゃんと自分の事だけじゃなくて、もっと大きな目線で生活していく事ができるのでしょうか?もっと他の人の事を考え、エゴに偏る事なく社会を形成していけるのでしょうか。
ふと不安になります。
本当はこんな公なブログなどの手法の中でして良いお話じゃないのかもしれません。 あまりに不謹慎なのかもしれません。
しかし、私はこの方を大先輩として、そして地域活動を牽引する一人の尊敬する活動家として、どこかに誰かに伝えなければならないような気がしています。
私はこの方の人格の中のほんの僅かな一面にふれる事ができただけなのだろうと思います。
でも「自分のやりたい事を山ほどやってきた以上に、やるべき事を何倍もしてきた人なんだろうな」という思いがあります。
「これからは若い者の時代なんだから!」
前にそう言っていた小川大先輩の言葉をかみしめて、これからも頑張って行きたいなと思っています。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
平野義文